岡本太郎(川崎ゆかりの人物)
岡本太郎(おかもと たろう)
岡本太郎記念館提供
生没年
1911(明治44)年ー1996(平成8)年
プロフィール
父は漫画家の岡本一平、母は歌人・小説家の岡本かの子。1911(明治44)年2月26日、母・かの子の実家(大貫家)のある神奈川県橘樹郡高津村二子(現在の川崎市高津区二子)に生まれる。1929 (昭和4)年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学。同年、父母の渡欧に同行し、翌年よりパリで一人暮らしを始める。ピカソの抽象絵画に触発され、独自の表現を模索していく中、前衛芸術家や思想家たちと深く交わり最先端の芸術運動に参加、《傷ましき腕》などの作品を次々に発表した。1938(昭和13)年にパリ大学で哲学や社会学のほか、マルセル・モースに師事して民族学を学び、その後の岡本芸術を生み出す土台となる思想を深めた。1940(昭和15)年、ドイツ軍のフランス侵攻により、約10年間滞在したパリから帰国。1942(昭和17)年、中国戦線へ出征、俘虜生活を経て1946(昭和21)年に復員した。
戦後、旧態依然とした日本美術界を批判、出版や講演活動を行い、広く問題提起をしたほか、「対極主義」を打ち出し《森の掟》や《重工業》などの作品を次々と発表、戦後日本の前衛芸術のリーダーとして、存在感を増した。また、自らの出自としての日本の文化のありかたに興味を抱き、東京国立博物館で出会った縄文土器に美を発見したことをはじめ、日本各地を取材、東北の祭りや沖縄の御嶽などに、民族学的視点から日本の原風景を見出した。1970(昭和45)年に大阪で開催された日本万国博覧会では、テーマ展示プロデューサーに就任。《太陽の塔》《青春の塔》《母の塔》を含むテーマ館の完成に尽力、同館館長も務めた。
その後、彫刻や絵画、モニュメントなどの作品制作のみならず、テレビへの出演、鯉のぼりやレコード・ジャケットのデザイン、文字の画集『遊ぶ字』に見られるレタリングなど、多岐にわたる活動によって広く人々に知られるようになった。
1981(昭和56)年、「日立マクセルビデオカセット」のコマーシャルに出演。《梵鐘》を叩きながら叫ぶ「芸術は爆発だ!」の言葉が流行語大賞の語録賞を受賞した。1989(平成元)年、フランス政府より芸術文化勲章を受章。
1991(平成3)年、生誕地川崎の川崎市市民ミュージアムで「川崎生まれの鬼才 岡本太郎展」が開催されたことを契機に、川崎市に主要作品を寄贈。1992(平成4)年、川崎市名誉市民に選ばれる。1996(平成8)年に亡くなる(享年84)。没後、1999(平成11)年に川崎市岡本太郎美術館が開館した。
40年以上にわたって創作の拠点にしていたアトリエ・住居を公開した岡本太郎記念館は、1998(平成10)年に開館している。
主な参考文献・ 著作等
- 岡本太郎著作集 全9巻(講談社/発行 1979-80年)
- 岡本太郎の本 全5巻(みすず書房/発行 1998年)
- 岡本太郎の宇宙 全5巻 別巻1(山下裕二ほか/編 筑摩書房/発行 2011年)
- 青春ピカソ(新潮社/発行 2000年)
- 自分の中に毒を持て-あなたは“常識人間”を捨てられるか(青春出版社/発行 2002年ほか)
(掲載日:2024年8月16日)