伊藤葦天(川崎ゆかりの人物)

伊藤葦天(いとう いてん)

伊藤葦天

提供:丸山教本庁

生没年

1883(明治16)年ー1974(昭和49)年

プロフィール

橘樹郡登戸村(現在の多摩区)で興った丸山教教祖伊藤六郎兵衛の孫、名は平質。1908(明治41)年父国義の後を継いで丸山教第3代教主となり、六郎兵衛を襲名した。大震災で倒壊した大教殿を復興し、教線を広めた。登戸近在の神社数社の社掌も兼務し、終戦直後神奈川県神社庁の創立では、参与に就任した。葦天と号し、句集や画集、郷土史の著作を残した。
俳人としての師は佐藤紅緑。同門に佐藤惣之助がいる。
第1回川崎市文化賞を受賞。
墓所は多摩区登戸の丸山教本庁内墓地にある。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年9月20日)