川崎市立図書館 地域資料パスファインダーB 「道」をたどる 大山街道 図書館で調べてみませんか! 薬局「灰吹屋」(はいふきや) 江戸時代から続く灰吹屋薬局。 土蔵は明治時代に建てられ1960(昭和35)年までお店として使われていました。 婦人服「タナカヤ」 蔵造りの店構えのタナカヤ。 江戸時代に呉服屋として創業。 建物は1911(明治44)年に建てられました。 大山街道とは 「大山街道」とは、江戸赤坂から多摩丘陵を抜け、伊勢原、秦野を経て大山へと続く道です。 元々「矢倉沢(やぐらさわ)往還(おうかん)」という街道の一部でしたが、江戸中期に庶民の間で盛んになった「大山詣で」※によく利用されたため、この名がつきました。 大山街道は信仰の道としてだけではなく東海道の脇街道として、また地域の産物を江戸へ送る商業の道として幕末まで栄えましたが、明治の鉄道開通以後は寂れていきました。 川崎市内では、主に二子から溝口にかけて古い町並みや史跡が残り、往時の繁栄をしのぶことができます。 ※「大山詣で」とは神奈川県伊勢原市にある大山阿夫(おおやまあふ)利(り)神社(じんじゃ)に参詣すること。 雨乞いの神として知られる。 調べるための道しるべ パスファインダー あるトピックを調べるために役立つ資料を、分かりやすく紹介したもの(パスファインダー)を図書館では作成しています。 このほか探せない本や、わからないことがありましたら、お気軽に川崎市立図書館登録・相談カウンターまでおたずねください 『武(ぶ)陽(よう)玉(たま)川(がわ)八景(はっけい)之図(のず)』 1791(寛政3)年:二子村〜溝口村の一部  ※図書館ホームページでは全体をご覧いただけます。 https://www.library.city.kawasaki.jp 大山街道について 『大山街道ルート −川崎歴史ガイド−」 (川崎市企画調整局文化室/編 川崎市/発行 1982年) 高津区内の大山街道沿道に焦点をあて、その歴史・史跡、ゆかりのある人々などをコンパクトにまとめたリーフレットです。 往時の貴重な写真も掲載されています。 『大山街道 二子から上有馬までをたずねて』 (川崎市立多摩図書館/編・発行 1973年) 市内を南北に横切る大山街道を実際に歩きながら、往時を知る人に話を聞き、主に明治時代から昭和時代初期にかけての沿道の様子や人々の生活を振り返ります。 1973年の刊行で、現在と様子の異なる町並みの描写も、興味をそそります。 『大山詣で物語−マイウェイ No.81』 (桜井ただひさ/写真 中平龍二郎/監修・文、はまぎん産業文化振興財団/編・発行、 2011年)? 図や写真、浮世絵などを豊富に使い、大山信仰の歴史や大山阿夫利神社についてわかりやすく、かつコンパクトにまとめています。 また、大山街道の旧宿場(二子溝口宿〜大山)を道順に紹介しており、江戸時代の「大山詣で」の雰囲気を味わうことができます。 宿場・街並みについて 『川崎市民俗文化財緊急調査報告書 第3集 二子・溝口宿場の民俗』 (二子溝口民俗文化財緊急調査団/編著 川崎市教育委員会社会教育部文化課/発行 1984年) 約1.5kmの大山道両側約300軒を対象にした二子・溝口宿場の民俗調査報告です。 冒頭に大山街道や大山講についての明瞭な解説がされています。 「明治30年の町並み」、「大山街道現状図(昭和56年)」の2枚の付図があり、「明治30年」では堤外に畑、町家の間にも畑や田が点在しており、土地利用の移り変わりが手に取るようにわかります。 『高津郷土史料集 第14篇、第15篇 矢倉沢往還二子・溝口宿の街並(その一、その二)』  (川崎市立高津図書館/編・発行 1992年、1993年) 第14篇は二子・溝口宿の近代(明治・大正)建築部分が残存している商家の調査報告です。 これまでの『高津郷土史料集』矢倉沢往還シリーズが、調査者が具体的に見聞した素材の記録であったのに対し、第15篇は古老の聞き取りを元にしており、豊富な写真・絵図などを用いた記録化のための工夫がされています。 第15篇刊行時には、第14篇で取り上げられた商家30軒の半数近くが取り壊されていました。 大山街道の今昔 『高津郷土史料集 第12篇、第13篇 写真で読む今昔・矢倉沢往還−大山道− (その一、その二)』 (川崎市立高津図書館/編・発行 1990年、1991年) 第12篇は二子から有馬まで、第13篇はさらに長津田まで、合計47地点での家屋や史跡等が写真と地図、解説で構成され載せられています。 うち25地点が昭和44年と平成元年の風景を定点撮影し比較し、20年を経ての変化が視覚的に理解できるよう編集されています。 『大山道今昔−渡辺崋山の「游相日記」から−』 (金子勤/著 渡辺崋山/伝 神奈川新聞社/発行 1985年) 「游相日記」とは、1832(天保2)年に渡辺崋山(画家・蘭学者)が、江戸の三宅坂から厚木までの4泊5日の旅をし、絵付き紀行文にしたものです。 この本を基に幕末当時の大山道沿道の風景・人物を再現し、1984(昭和59)年との対比をし、考察されています。 現在地を歩いてみよう 『ホントに歩く大山街道』 (中平龍二郎/著 風人社/発行 2007年) 現在の赤坂御門から大山山頂まで、大山街道を実際に歩くための散策コース案内です。 1コースが6km程度に設定され、歴史的な見どころの紹介と解説を交えながらたどります。 現在の地図とともに、街歩きのための目標物の写真が掲載されています。 『訪ねて楽しい大山街道』 第3版 (大山街道ふるさと館/編 川崎市生涯学習財団/発行 2016年)  赤坂御門跡から阿夫利神社奥社まで、現在の地図上に大山街道の道筋を示してあります。 道筋に残る社寺や石造物を紹介するほか、大山が見えるビューポイント、道中で見られる動植物など、実際に現地を訪ねる際に役立つ情報が多く掲載されているほか、沿道の地名の由来や大山詣にまつわるコラムなどもあり、充実した内容です。 『大山街道文学碑めぐり』[改訂版] (鈴木穆/著 大山街道活性化推進協議会/編 川崎市高大山街道ふるさと館/編 川崎市高津区役所/編・発行 [2020]年) 文庫本サイズに折りたためるガイドマップで、大山街道の沿道とその周辺地域にある10の「文学碑」を写真入りで紹介しています。 江戸時代から昭和30年代まで、長きにわたって文学者に愛された道であることがうかがえます。 二ヶ領用水 石灯籠の画像 溝口神社の画像 府中街道との交差点「高津」の画像 『大山道歴史ウォッチングガイド』より(大山街道ふるさと館/編・発行 1995年) コラム:庶民の娯楽としての大山詣で 大山は、奈良時代に開山され、古くから雨乞いに霊験あらたかな山として農民に信仰されていました。 江戸中期には、ひと夏に20万人もの人が大山を訪れたこともあったといいます。 当時は理由もなく旅に出ることは許されない時代でした。 しかし、「大山詣で」など信仰行為としての旅であれば、お上も厳しく取り締まることはありませんでした。 ですから、庶民が旅に出たければ、神社仏閣に詣でることを理由に届けを出すというのが多かったようです。 江戸の町人たち、特に水に関係深い仕事、火消しや酒屋などは、木製の太刀を作成し大山に納め、替わりに納めた太刀より大きな太刀を持ち帰りお守りにするという習俗があり、職人や商人を中心に参詣していたようです。 また、当時の人々は片詣りを嫌ったため、男の神様である大山を詣でたあと、女の神様である江ノ島の弁天様を詣でるということもあったようです。 「大山詣で」には、信仰のためだけではなく、景色や名物などを楽しみながら旅をする娯楽的な要素も多く含まれていました。 江ノ島の他に鎌倉や箱根とセットにして詣でるなど、江戸からの手ごろな旅行パックの定番となっていたようです。 新聞記事・インターネットで調べる 新聞記事やインターネットでは最新の情報がわかります。 『新聞記事索引』(川崎市議会事務局/編・発行) 川崎市に関わる新聞記事について調べられます。 詳しくは図書館の登録・相談カウンターへ。 *図書館ホームページで「大山街道」を本で探す 図書館ホームページ・蔵書検索画面で本を探す時は、「書名」および「件名」に次のキーワードを入れて検索してみてください。 「書名」・「件名」 =「大山街道(オオヤマカイドウ)」や「矢倉沢往還(ヤグラサワオウカン)」 *「大山街道」を紹介したホームページ 大山街道ふるさと館 https://furusatokan.web5.jp 高津区役所 「魅力・みどころ」>「大山街道」 https://www.city.kawasaki.jp/takatsu/category/116-4-0-0-0-0-0-0-0-0.html 「魅力・みどころ」>「高津区を歩こう」>「大山街道コース」 https://www.city.kawasaki.jp/takatsu/page/0000026554.html 高津区ふるさとアーカイブ  http://takatsufurusato.sakura.ne.jp/ 川崎国道事務所 「トップページ」>「事務所の取り組み」>「国道246号」>「大山街道」 https://www.ktr.mlit.go.jp/kawakoku/kawakoku_index017.html 川崎市立図書館地域資料パスファインダーB  第2版  大山街道 編集・発行:川崎市立図書館地域資料担当者会議   2023年7月 【資料についての問い合わせ】   川崎市立中原図書館 電話番号:044-722-4932 読書のまち・かわさき