安藤安(川崎ゆかりの人物)

安藤安(あんどう やすし)

安藤安

『待望丸子橋』(国立国会図書館デジタルコレクション)より転載

生没年

1874(明治7)年ー1938(昭和13)年

プロフィール

小杉村(中原区)の旧家に生まれる。中原村(中原区)村長を3度務めた安藤久重の長男。下小田中村(中原区)安楽寺の時習学校から東京医学校へ進学したが、中退して家業を継いだ。のち川崎製鉄専務取締役、中原郵便局長、村会議員、学務委員、小杉恤兵会長などを歴任し、1926(大正15)年中原町(中原区)町長となった。市制実現の合併委員長も務めたほか、市議にも選出された。多摩川の丸子橋架橋に尽力し、『待望丸子橋』の著書を残す。書・和歌・俳句をたしなみ、俳号を柳窓といった。墓は中原区小杉御殿町の西明寺にある。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年 年1月12日)