鈴木喜三郎(川崎ゆかりの人物)
鈴木喜三郎(すずき きさぶろう)
出典: 国立国会図書館「 近代日本人の肖像」
( https: //www.ndl.go.jp/portrait/外部リンク)
生没年
1867(慶應3)年-1940(昭和15)年
プロフィール
大正・昭和前期の政治家。
大師河原村(現在の川崎区)の川島家に生まれ、同村明長寺住職の養子となる。帝国大学で法律学を学んで司法畑を歩み、1918(大正7)年貴族院議員となる。検事総長、司法・法務大臣、内務大臣などを歴任した。衆議院議員にも当選し、政友会総裁となった。
妻かづ子の父は鳩山和夫。義弟は後の内閣総理大臣鳩山一郎。
かつては、川崎大師境内に喜三郎の銅像(※)があったが、戦時下の物資不足から1943(昭和18)年に撤去された。その際には、大僧正らによる歓送供養法会が執り行われた。
墓所は東京都台東区の谷中霊園にある。
※鈴木喜三郎の銅像の写真を、Webギャラリー「古写真」「移りゆく川崎(昭和10年から昭和30年代~倉形泰造氏の写真集から~)」にて掲載しています。
主な参考文献・ 著作等
- 鈴木喜三郎 再版 (鈴木喜三郎先生伝記編纂会/著・発行 1955年)
(掲載日:2024 年3月21日)