稲毛三郎重成(川崎ゆかりの人物)

稲毛三郎重成(いなげ さぶろう しげなり)

稲毛三郎重成

木造稲毛重成像(廣福寺蔵)
『「つわもの」どもの光と影ー稲毛三郎とその時代ー』(川崎市市民ミュージアム/発行)より転載

生没年

生年不詳(平安時代末期)-1205(元久2)年

プロフィール

鎌倉幕府の御家人。
秩父氏の一族小山田有重の子息。橘樹郡稲毛村(現在の川崎市域の大半)を領有して、稲毛氏を称した。妻は北条時政の娘(北条政子の妹)「綾子姫」で、源頼朝とは義兄弟になる。
従兄弟の畠山重忠と頼朝の配下となり、木曽義仲攻略で武勲をあげ、平氏追討や奥州藤原氏討伐にも参陣した。武勇に優れ、建久の頼朝上洛には随兵に選ばれている。
妻の病没を悲しんで出家し、道全と改名。以後稲毛入道、小沢入道と呼ばれた。「極楽寺薬師堂」(現在の多摩区菅の薬師堂)を建立。三回忌供養には相模川の河口「馬入川」に橋を架けた。(橋脚跡は国の史跡となっている。)
のち北条時政の命により、謀反を起こしたとされる畠山一族を殺害。しかし翌日には時政の計略により重成は首謀者として、弟、子息とともに謀殺される。
重成が中興したとされる枡形山の廣福寺には、木彫りの重成像と境内にはその墓といわれる五輪塔がある。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年3月21日)