阿野全成(川崎ゆかりの人物)
阿野全成(あの ぜんじょう)
『義烈百人一首』より転載 国文学研究資料館所蔵
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生没年
1153(仁平3)年ー1203(建仁3)年
プロフィール
源義朝の子で、母は常盤。源頼朝の弟にあたり、幼名を今若と呼んだ。平氏の手で醍醐寺に入れられ、僧侶となった。のち駿河阿野(現在の静岡県)に住んだため、阿野禅師・阿野法橋と呼ばれた。兄頼朝挙兵を聞き、下総鷺沼の陣に駆けつけた。
一時、長尾(現在の多摩区・宮前区)にあったといわれる威光寺(現妙楽寺)の住職を務めた。妻は北条時政の娘阿波局。鎌倉幕府の内紛に巻き込まれ、下野(現在の栃木県)で謀殺された。
主な参考文献・ 著作等
- あゆたか 第60号(源氏の祈願寺・長尾山威光寺と僧全成)(稲田郷土史会/編集・発行 2022年)
- 歴史人 2022年7月号(源頼朝亡き後の北条義時と13人の御家人)(ABCアーク/発行 2022年)
(掲載日:2024年3月31日)