太田道灌(川崎ゆかりの人物)

太田道灌(おおた どうかん)

太田道灌

『東京府史行政篇 第1巻』
(国立国会図書館デジタルコレクション)より転載
「太田道灌像」静勝寺(東京都北区)所蔵

生没年

1432(永享4)年ー1486(文明18)年

プロフィール

相模国(現在の神奈川県)に生まれる。扇谷上杉家の家臣太田資清の子で、幼名は鶴千代。元服して資長を名乗る。1455(康正元)年に家督を継ぎ、翌年より江戸築城に着手。主家上杉家の執事を務めた。山内上杉家の家臣長尾景春勢としばしば対陣し、市域では小沢城(多摩区)や丸子城(中原区)を攻略した。加瀬山(幸区)に築城を企図し、夢見が悪くて断念したため、夢見ヶ崎(幸区)の地名を生んだとの故事を残す。幼時から鎌倉五山に入って学問を修め、詩歌に親しんだ。
夢見ヶ崎動物公園には太田道灌公碑が設置されている。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年5月28日)