添田知義(川崎ゆかりの人物)
添田知義(そえだ ともよし)
『新選代議士列伝』
(国立国会図書館デジタルコレクション)より転載
生没年
1854(嘉永7)年ー1912(大正元)年
プロフィール
橘樹郡市場村(現在の横浜市鶴見区)名主で寄場組合総代を務めた添田知通の長男。名主・戸長・村用掛を経て、1876(明治9)年第4大区学区取締兼医務取締役となった。自由民権運動に加わり、民権結社橘樹郡親睦会では幹事を務める。のち県会議員、衆議院議員に当選した。晚年は多摩川河川改修運動に挺身した。
墓所は幸区下平間の称名寺にある。
主な参考文献・ 著作等
- 神奈川県史 別編1人物(神奈川県県民部県史編集室/編集 神奈川県/発行 1983年)
(掲載日:2024年7月2日)