川崎弘子(川崎ゆかりの人物)

川崎弘子(かわさき ひろこ)

川崎弘子

『現代日本に活躍する人物とその団体』
(国立国会図書館デジタルコレクション)より転載

生没年

1912(明治45)年ー1976(昭和51)年

プロフィール

昭和期の女優。
橘樹郡大師河原村(現在の川崎区川中島)に生まれる。本名は石渡シズ子。父は川崎大師の参道で菓子やみやげ物の商売をしていたが、弘子が10歳のときに事業に失敗し、失意のうちに死没。
大師尋常高等小学校(現在の川崎市立大師小学校)を卒業後、料理屋や工場などで働いていたところをスカウトされ、1929(昭和4)年2月に松竹蒲田撮影所に入った。入所後すぐに「ステッキガール」で映画デビューし、次の「女性の力」で初主演を務めた。続いて、多摩川改修工事をテーマに金森誠之(多摩川改修事務所長)が脚本を書いた「酬いられぬ人」の主演に抜擢され、以降も多くの作品に出演し、松竹の看板女優となった。なお、芸名の「川崎弘子」は、出生地の川崎と弘法大師にちなんで金森誠之が名付けたという。
1935(昭和10)年には作曲家・尺八奏者の福田蘭童と結婚。その後も女優として活躍したが、1957(昭和32)年の「天使の時間」出演を最後に引退した。
墓所は川崎大師平間寺にある。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年9月11日)