三淵嘉子(川崎ゆかりの人物)

三淵嘉子(みぶち よしこ)

三淵嘉子

明治大学史資料センター所蔵

生没年

1914(大正3)年ー1984(昭和59)年

プロフィール

日本初の女性弁護士、女性裁判所所長。裁判官。
1914(大正3)年11月13日、父武藤貞雄と母ノブの長女として父の赴任先のシンガポールで出生。大多数の大学が女子に門戸を閉ざしていた時代に、父の勧めや弁護士法改正(1933年女性も弁護士資格取得可能となった)を見込んで、1932(昭和7)年、明治大学専門部女子部法科に入学。1935(昭和10)年明治大学法学部に進学、1938(昭和13)年に高等試験司法科試験合格、日本初の女性弁護士となる。結婚・出産を経て1944(昭和19)年に明治女子専門学校助教授となる。
昭和火工株式会社常務取締役となっていた父貞雄が川崎市多摩区登戸に居住しており、終戦後には嘉子も登戸の社員住宅で同居。その後、弟とも登戸で同居していた。
司法省民事部では民法立法作業に携わる。最高裁判所事務局内家庭局配属のち、1949(昭和24)年、東京地方裁判所民事部判事補となる。家庭裁判所視察団として米国へ出張、日本の家庭裁判所設立に携わる。1952(昭和27)年、異例の速さで名古屋地方裁判所判事任官。1972(昭和47)年、新潟家庭裁判所所長、日本初の女性裁判所所長となる。のち、浦和や横浜の家庭裁判所所長を経て、1979(昭和54)年退官。常識に囚われず,少年少女の個々の事情を鑑みて最適な更生の道を模索する仕事ぶりから「家庭裁判所の育ての親」と呼ばれた。1984(昭和59)年、死去。
2024年度NHK連続テレビ小説の主人公モデルとなった。
 

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年9月11日)