佐藤忠男(川崎ゆかりの人物)
佐藤忠男(さとう ただお)
画像提供:日本映画大学
生没年
1930(昭和5)年-2022(令和4)年
プロフィール
日本を代表する映画評論家。1930(昭和5)年、新潟県生まれ。本名 飯利 忠男(いいり ただお)。『映画評論』『思想の科学』編集長を経て、映画を中心に演劇、文芸、大衆文化、教育など広い分野での評論活動を行い、著作は100冊以上に及ぶ。
世界の映画祭への参加のほか、16年間にわたり、アジアフォーカス・福岡国際映画祭のディレクターを務めるなど映画による国際交流に尽力し、アジア映画をはじめ欧米以外の作品にも注目、数多くの作品を日本に紹介するとともに日本映画の海外普及にも尽力した。芸術選奨文部大臣賞、紫綬褒章、勲四等旭日小綬章、毎日出版文化賞、国際交流基金賞、神奈川文化賞など多数受賞、2019(令和元)年 文化功労者。海外からも、フランスをはじめ各国で受賞・受章するなどその功績は高く評価されている。
また、1996(平成8)年から麻生区にあった日本映画学校 校長、2011(平成23)年から日本初の映画の単科大学 日本映画大学※学長として、多くの人材を育成した。2017(平成29)年4月、日本映画大学名誉学長就任。
川崎市においては、2008(平成20)年に川崎市文化賞を受賞、翌年から7期14年間にわたり川崎市市民文化大使。川崎・しんゆり芸術祭(アルテリッカしんゆり)において、第1回(2009(平成21)年)から10年間、実行委員会委員長を務め、「映像のまち・かわさき」の推進をはじめ、映像を核としたまちづくりや文化芸術の振興に多大な貢献をした。
2022(令和4)年3月17日、91歳で死去。
※日本映画大学:日本で唯一の映画の単科大学。1975(昭和50)年に映画監督今村昌平が、映画を志す若者のための学校として、「横浜放送映画専門学院」を開設。その後、名称を「日本映画学校」に改め、1986(昭和61)年、川崎市の新百合ヶ丘駅前に移転。2011(平成23)年4月、「日本映画学校」は四年制の大学「日本映画大学」として開学し、現在、麻生区に2つのキャンパスを持つ。
主な参考文献・ 著作等
- 映画俳優(佐藤忠男/著 晶文社/発行 2003年)
- 大島渚の世界(佐藤忠男/著 筑摩書房/発行 1973年)
- 映画から見えてくるアジア(佐藤忠男/著 洋泉社/発行 2005年)
- キネマと砲聲-日中映画前史-(佐藤忠男/著 リブロポート/発行 1985年)
- 長谷川伸論(佐藤忠男/著 中央公論社/発行 1975年)
- 日本映画史 全4巻(佐藤忠男/著 岩波書店/発行 1995年)
(掲載日:2024年12月10日)