髙橋清(川崎ゆかりの人物)

髙橋清(たかはし きよし)

髙橋清

『かわさき生活ガイド 市民便利帳』
(2000年 川崎市発行)より転載

生没年

1925(大正14)年ー2015(平成27)年

プロフィール

元川崎市長、小学校教諭。
1925(大正14)年2月18日に宮城県で生まれる。1944(昭和19)年に宮城師範学校卒業、同県涌谷国民小学校教諭となる。神奈川県津久井郡小学校勤務を経て、1955(昭和30)年に川崎市立古市場小学校に赴任。教職員組合、古市場小学校教頭を経て、1972(昭和47)年川崎市教育委員会事務局教職員部長、1983(昭和58)年助役に就任。
1989(平成元)年11月、伊藤三郎市長の辞任により川崎市長選に立候補し、当選。

1993(平成5)年、基本計画「川崎新時代2010プラン」を公表。政策は五つの都市づくり-「生涯健康」「快適環境」「地域自立」「創造発信」「市民自治」-を軸としていた。
具体的には「かわさき市民アカデミー」創設、溝口駅前再開発、環境基本条例制定、政令市初の一般事務職採用時の国籍要件撤廃、新百合ヶ丘「芸術のまちづくり」計画、川崎駅西口文化ホールの整備構想・計画策定、岡本太郎美術館建設決定・開館、区づくり白書策定、政治倫理条例、会議公開制度の開始、などである。1980年代のバブル崩壊、1988(昭和63)年のリクルート事件発覚などの激動の時代の中、伊藤三郎革新市政を引継ぎつつも時代の変化に対応した政策を進めていった。
1989年から3期連続で市長を務め、2001年11月退任。退任時の会見の際、印象に残っていることとして「川崎市市民オンブズマンの導入、外国人市民代表者会議の設置、子どもの権利に関する条例の実現」を挙げた。
2015年7月3日、90歳で死去。

主な参考文献・ 著作等

(掲載日:2024年12月10日)